フランスでのシャルリー・エブド社襲撃事件に引き続き、2件の人質立てこもり事件にまで発展した今回のテロ騒動。3日に渡り世間を騒がせ、多くの犠牲者を出しながらも、容疑者は突入時に射殺され、一応解決した様子。

今日は、フランス国内のみならず、ここモントリオールでも「反テロ、言論・表現の自由」の名の下にデモ行進が、行われたらしい。私は仕事で行けなかったけど、もし誘われてたら、、、デモ行進の意義は感じるが、やっぱり「Je suis Charlie」ってプラカードみるとちょっと「ちゃうんちゃうん?!」っと感じてしまう。(1月9日日記「素直にJe suis Charlieって言えない」参照)

この「Je suis Charlie」ってハッシュタグ。誰が言い始めたんや?と思い、ググったら他者のジャーナリストが言い出したのがキッカケやったそうな。うーーーーん、ポロっと言ってしまっただけかもしれんが、センスない言葉選びをしてしまいはりましたな。なんかもっとエエ表現なかったのだろうか?っと、ずーーーっと考えてたのだが、

同じ事を思ってた方が、続々出て来た様で、

jesuisAhmed
Je suis Ahmed

ってハッシュタグが浮上してきました。

Ahmedとは、最初の新聞社の襲撃で殺害された警察官Ahmed Merabetさんの事。実は彼はイスラム教徒だった。彼は、シャルリー社の表現の自由(それがどんなに低俗で侮辱的な物であっても)を守るため死んだ。彼の名こそ表現の自由を守るために本当に必要なスローガンではなかろうか。

私が、イスラム教徒であれば、Je suis Charlieのプラカードを多くの人が掲げた追悼式やデモ行進に参加するのは「申し訳ない」や「怖い(自分達を悪のイメージで見られる)」という感情でいっぱいになってしまい、そういう集会に集まるのを躊躇してしまいそうだが、「Je suis Ahmed」だと素直に参加できそうだし、同じイスラム教徒の警官に誇りを感じ、参加したいと思えるのではないだろうか。コッチの方が、より一層、団結できそうだが、やっぱり移民は排除したいのが本音なのかね?!

ちなみに、余談だが、シャルリー・エブド社のシャルリーの名の由来は、スヌーピーのチャーリー。おまけに、母体は、月刊誌「Hara-kiri」(現在は廃刊)と言うもの。腹切りでっせ。なぁーんかね、読んだ事ないのに批判はできへんけど、やっぱりプラスのイメージは湧かないわ。

世の中、テロ関連のみならず、エゲツナイ事件が世界中のアチコチで起こっております。金曜の夜からべべは、発熱が続き、今も寝る事すら苦しそうで、見ていて可哀想なのですが、ただの風邪やろうし、私の悩みなんて寝不足くらい。この幸せな生活に感謝です。


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